Münsterでは他にも訪ねる約束をしていた人達が
ベルリンであんな事があったから、(同じく各地から多くの人がクリスマスマーケットを目指してやってくる)Münsterでも心配してる?
とパパに質問したら
「今やテロはどこででも起こりうる。テロにあわなくても、買い物に出かけて車の事故で死ぬかもしれないし」と相変わらず冷静
日本在住のドイツ人は
「ドイツは武器を輸出しているし軍隊も出しているから・・・
それより、日本もこのまえ法律が変わったから、戦争に加担できるようになったよね。今後、自衛隊が現地で活動するようなことがあったら、間違いなくテロの標的になるよ。
こんなに平和な国なのに、なんてもったいないんだ東京オリンピックはさぞかし警備が大変になるだろうね」
と逆に日本のことを心配しています
「そうなのよー!首相がバカすぎるし、国民が呑気すぎるから」としか答えられません
そして、ネットで現地のラジオを聞いていて、あーやっぱり違うな~と思ったのは
この事件が起きた当初「パキスタン国籍の難民」に嫌疑がかかった時に
民間の放送局がニュースを伝える中で
「難民といっても個々に事情が異なることを忘れないように」
「不当な難民への差別、嫌がらせはあってはならない」というような内容をほぼ毎回付け加えていたことです
己を正義であると疑わず、膨れ上がった民意を偏向的に助長することしかできない、どこぞの国のマスゴミと大違い
あ、ゴミといえば・・・
旦那様はこの週末、例の『目玉カチューシャ』がらみの研究会に出かけます
数年前、研究会で修理してもらった目玉カチューシャをいかにして持ち帰るか
夫婦で熱く議論を上下した、あの研究会です
おそらく今回も、(本人はあくまで「実験道具」と呼ぶ)
意味不明な物体を数多くお持ち帰りになることでしょう
そして、我が家のゴミは一段と増えるのでしょう
妻はMünsterで、他にも訪ねたい場所がありました
それは3年前に行った、あの、エスカーダ(ESCADA)
その少し前に日本で、妻を通してこの「女性物」ブランドを知り
ここのパンツをいたくお気に入りになっていた旦那様
前回Münsterの街をうろついていた時に、旦那様が突如立ち止まりウィンドウのデニムに見入っていたので
上を見あげますと、なんと正にそのエスカーダだった、というあのお店です
その時「実は・・・試着したいのは彼なんですけど」という妻の言葉を聞いた時の
店員さんの驚いた顔がとても印象的で
あれから3年で旦那様のエスカーダコレクションは格段に増えました
もちろん、DMの宛名が旦那様であるだけでなく、
好みを把握した店員さんから、新作が入荷すると「旦那様宛」に電話が入るシステムにもなっております
パンツに限っていいますと、イッセイミヤケよりも明らかに使用頻度が高い
そんな風ですから、せっかくドイツへ行ったんですもの、ドイツのブランドであるその店に寄らない手はないでしょう
「僕は、どっちでもいいんだけど~」「時間があったら寄るくらいでー」と言う旦那様の手を引き張り切って来店しました
入口で年輩の店員さんに「デニムありますか?」と尋ねると「どうぞどうぞ」と奥へ案内されまして
「デニムをお探しよ」と別の店員さんへバトンタッチ
その時点で、妻は「ん?」
引き継いだ店員さんが
「何サイズをお召しになりますか?」と聞きながらチラッと旦那様のほうへ視線を・・・
妻:「あの、もしかして3年前・・・」
店員さん:「ええ覚えていますとも」
そう、その女性は3年前に我々に対応してくれた、あの店員さんだったのです
当時のブログを見ましたら
『おそらくミュンスターを訪れた日本人で、エスカーダの婦人パンツを自分用に購入した初めての男性として、店員の記憶に深く刻まれたことでしょう』
と書いておりましたが
その推測は決して間違いではなかったようで
「決して忘れませんわーまたご来店下さって嬉しいですー」
「ええ、またお会いできてよかったですー」
盛り上がる女性陣の横で、ドイツ語は単語レベルでしかわからないのに内容を推測し話の流れをつかむことに長けた旦那様も
「あー、同じ人だったんだ~」とニコニコ
もちろん(?)この日も
ライトグレイのデニムをお買い上げ
しかも、カードでの支払いの際に店員さんが我々のファミリーネームを発音して覚えようと努めている様子だったので
こちらもお名前を尋ね
せっかくなのでお写真も
そして、Münsterに来たときには次回も必ず立ち寄る旨を約束したのでした
我々夫婦、友達が少ないわりに店員さんの知り合いだけはちょっと多め
都内へ行っても、買い物があるか否かに関わらず挨拶だけの為に立ち寄るというお店も少なくありません
でも、自宅から9000㎞以上離れた街では初めてです
私達が帰った後
「二度も来て、毎回男性のほうが買い物していく変わった日本人夫婦」として
きっとお店の人達の格好のネタになったことでしょう
もちろん、次回も訪ねますとも
Münsterでは他にも訪ねる約束をしていた人達が
留学中通った高校で、一番親しかった友人とその家族
彼女は当時ポーランドから家族でドイツへ移って来たばかりで
ドイツ語が母語ではないという同じ状況の中、学校以外でもよく一緒に出かけたり家を行き来したりしたものでした
その後もホストファミリー以外では唯一一度も連絡が途絶えることなく、学生・独身時代もドイツへ行く度に会っていた友人です
現在はギムナジウム(高校)の教師になり同僚のドイツ人男性と結婚し、2人の子どもがいます
3年前には新築したばかりの家を訪ね、ご主人と子ども達にも会っていたので今回は二度目
その時、こんな感じだった上の子も
今年の9月から小学校へ通っています
3年前、離乳食だった下の子も
今では、好き嫌いをハッキリ主張するように
そして、今回は「友人のお母さん」も会いに来てくれました
ギムナジウム時代、家に遊びに行くといつも温かく迎えてくれたお母さんとは26年ぶりの再会
「あなた、ちっとも変っていないわ~」
うーん、当時の私は体重が13キロ増加してたんだけど・・・
つまり今もそのくらい体や顔が丸い(アゴの山)ってことかしら・・・
そういうお母さんも以前同様、そのやさしさ温かさは変わっていませんでした
さて、友人夫婦は「いつ日本に遊びに行くか」を前回より具体的に検討し始めた様子
子ども達が長いフライトに耐えられるかわからないし、何らかの経験として残る年齢になるにはまだまだ時間がかかり過ぎるので
いっそ彼らを両親に託すかサマーキャンプ等に送り出して夫婦だけで、という考えもある友人に対し
ご主人のほうは「子どもぬきでの日本への旅行はありえない」ようなつもりらしく・・・
ワタクシとしては隣の旦那様を見ながら「とにかく、この人が杖なしで歩けるうちに来てね」とは言っておきましたが
果たして次回の再会は日本とドイツ、どちらになるでしょう
そして、その時の旦那様のヨボヨボ加減はいかに
Potsdamでオモロイおじさん一家と過ごした後は
今回の最終目的地、ホストファミリーのパパママが住むMünsterへ列車で移動
パパは83才ながら、週に3回は地域のスイミングや運動クラブで活動し自宅地下での自転車こぎも欠かさないアクティブ派
頭の回転も立ち居振る舞いも、年齢からは想像できないほどの元気さです
でも、ママはこの3年で人工関節の手術や手首の骨折手術もして疲れやすくもなっている様子
「どこか行きたいところ、したいことはあるか?」と事前に聞かれたので、一つだけリクエスト:
それは、週に一度パパがボランティアで受け持っている「難民に対するドイツ語クラス」を見学させてもらうこと
家から車で5分程度の住宅街の中にある、簡易ではあるけれど新しく明るい清潔な建物
ここに数世帯が住んでいます
パパが教えている男の子の内兄弟の2人、その日は学校から帰宅しておらずクラスには参加しなかったけれど、その家族が私達を部屋に招き入れてくれました
マケドニアから来た彼らに正式の在住許可はまだおりておらず、現在審査待ちの状態だとか
しっかりと暖房がきいた30平米ほどの部屋に両親と娘3人、年頃の男の子2人には別室が与えられているそう
我々に飲み物を出そうとしてくれるのを丁重にお断りし
建物内にある教室へ移動すると、他の子が帰宅していないのでこの日はセルビアから来た15才の男の子一人
彼は自国で父親の商売を手伝わなければならなかったので、そもそも母語といわず「読み書き」そのものを習うのが、ここドイツに来てから初めての経験なんだとか
それにしても、最初にドイツ語習うのがウチのパパ(ドイツ人の中でもドイツ語の使い方にムッチャうるさいゲーテの専門家)というのは・・・運がいいのか悪いのか
既に在住許可がおりた家族には近所に一般の戸建てが与えられているので、この建物には現在空室もあるそうで
同時期に日本を訪問していたドイツの大統領も言っていたように
移民や難民に少子高齢化対策の一端を担ってもらおうという発想がある国の「正当な対応の現場」を目にする機会に恵まれ、我々にとっては非常にありがたい経験でした
おまけ:
そのあと、これまた前回にも前々回にも訪れた「お隣さん一家」に招かれ
手術の影響で人や物の認識が弱くなっているそこのご主人に
これまた前回同様、妻の「父親」だと間違われた旦那様
ここまでくると、お決まりのパターンを次回も期待してしまう
そんなホストファミリー訪問でございました
Dresdenを5日間満喫したあとは列車でBerlinを経由してPotsdamへ
Dresdenの友人とは学生時代にMuensterを訪れた際に会っていたので20年ぶりでしたが、
Potsdamの知人とは約25年ぶりの再会
その知人とは・・・
留学した年がちょうど東西ドイツの壁が崩壊した直後だったため、AFSドイツが初の試みとして
その年の生徒達に旧東ドイツの生活も体験させようと
「東」のファミリーに短期ホームステイさせるという(かなり大胆な)プログラムを組んだわけです
統一で人々の往来が自由になったとはいえ、東の街の様子、道路、施設、人々の生活はまだまだそのままでした
高層住宅の壁はあえて薄くつくられていて、必ず一棟に数家族は「Stasi」と呼ばれる諜報部員が住んでいるので政府に対しての発言など声の大きさに留意していたこと
統一したことで、どの家族がStasiだったのか互いを猜疑の目で見合っていること
毎朝、trabiと呼ばれるオモチャみたいな車のエンジンが一度ではかからないので20回くらいキーを回してトライするその音で目が覚めたこと・・・
当然ながら、同じ「ドイツ」といっても
住居のあり方、食事の仕方、入浴の頻度など全てが異なるまるで別の国の文化でした
その短期ホームステーで、3週間ほどお世話になったのが東ベルリンのホストファミリー:
専業主婦のお母さんとその娘(当時の私と同じくらいの年)、それからお母さんの再婚相手であるお父さんの3人家族
先行きの極めて不透明な生活の中でも、日本からの留学生を大歓迎してくれまして
お父さんは壁が崩れる日まで大学で「法律」を教えていたけれど、当然ながら失職していたわけですが
そんなことを思わせない、それはそれは愉快な人で家族全員しょっちゅう笑っていた記憶があります
どれくらいオモロイおじさんだったかを物語るのがこの写真
日本からワタクシが持参した浴衣を娘に着せるつもりが、お父さんも着てみたいと言いだした結果です(男の人に着付けするって今だって難しい)
娘着用は、彼女の本来の父親がベルリンフィルハーモニーの団員として日本に行った際買ってきたお土産着物
残念ながらこれから数年後、独身時代のワタクシの度重なる転居のせいで連絡が途絶えていました
ところがこれまた約3年前
Muensterのママがインターネットでお父さんの名前を検索し、過去にPotsdamの大学を退職した記録がありその電話番号にかけて確認してくれ
この度、約25年ぶりの再会とあいなったわけで・・・
現在は26才年下の奥さんとその間にできた息子と幸せに暮らしていました
シャンパンを開け、キャンドルをつけ、ご馳走を準備して
これまた温かく歓迎してもらい、それはそれは素敵な時間でした
(もちろん浴衣の写真も持参)
われわれ夫婦としては「歳が離れていることで親子に間違われるパターン」についてこれほど共感をもって話せる夫婦は国内外を問わず初めてでもございまして
それにしても、、、
75才にして3人目の奥さんと16才の息子
やっぱりオモロイおじさんは年取ってもオモロイ