Potsdam
Dresdenを5日間満喫したあとは列車でBerlinを経由してPotsdamへ
Dresdenの友人とは学生時代にMuensterを訪れた際に会っていたので20年ぶりでしたが、
Potsdamの知人とは約25年ぶりの再会
その知人とは・・・
留学した年がちょうど東西ドイツの壁が崩壊した直後だったため、AFSドイツが初の試みとして
その年の生徒達に旧東ドイツの生活も体験させようと
「東」のファミリーに短期ホームステイさせるという(かなり大胆な)プログラムを組んだわけです
統一で人々の往来が自由になったとはいえ、東の街の様子、道路、施設、人々の生活はまだまだそのままでした
高層住宅の壁はあえて薄くつくられていて、必ず一棟に数家族は「Stasi」と呼ばれる諜報部員が住んでいるので政府に対しての発言など声の大きさに留意していたこと
統一したことで、どの家族がStasiだったのか互いを猜疑の目で見合っていること
毎朝、trabiと呼ばれるオモチャみたいな車のエンジンが一度ではかからないので20回くらいキーを回してトライするその音で目が覚めたこと・・・
当然ながら、同じ「ドイツ」といっても
住居のあり方、食事の仕方、入浴の頻度など全てが異なるまるで別の国の文化でした
その短期ホームステーで、3週間ほどお世話になったのが東ベルリンのホストファミリー:
専業主婦のお母さんとその娘(当時の私と同じくらいの年)、それからお母さんの再婚相手であるお父さんの3人家族
先行きの極めて不透明な生活の中でも、日本からの留学生を大歓迎してくれまして
お父さんは壁が崩れる日まで大学で「法律」を教えていたけれど、当然ながら失職していたわけですが
そんなことを思わせない、それはそれは愉快な人で家族全員しょっちゅう笑っていた記憶があります
どれくらいオモロイおじさんだったかを物語るのがこの写真
日本からワタクシが持参した浴衣を娘に着せるつもりが、お父さんも着てみたいと言いだした結果です(男の人に着付けするって今だって難しい)
娘着用は、彼女の本来の父親がベルリンフィルハーモニーの団員として日本に行った際買ってきたお土産着物
残念ながらこれから数年後、独身時代のワタクシの度重なる転居のせいで連絡が途絶えていました
ところがこれまた約3年前
Muensterのママがインターネットでお父さんの名前を検索し、過去にPotsdamの大学を退職した記録がありその電話番号にかけて確認してくれ
この度、約25年ぶりの再会とあいなったわけで・・・
現在は26才年下の奥さんとその間にできた息子と幸せに暮らしていました
シャンパンを開け、キャンドルをつけ、ご馳走を準備して
これまた温かく歓迎してもらい、それはそれは素敵な時間でした
(もちろん浴衣の写真も持参)
われわれ夫婦としては「歳が離れていることで親子に間違われるパターン」についてこれほど共感をもって話せる夫婦は国内外を問わず初めてでもございまして
それにしても、、、
75才にして3人目の奥さんと16才の息子
やっぱりオモロイおじさんは年取ってもオモロイ