幼妻日記 -193ページ目

勇気ある人

かかりつけの婦人科で、勇気ある外国人を見た。

妻が待合室に座っていると、受付に現れた一人の白人女性

女性:「Hello. I'm ______.」(英語で名前を述べる)

受付:(すべて日本語で)「こんにちわ。ご主人様から承っております。保険証はお持ちですか?」

女性:「Well....Ah....」

受付:(あくまで日本語で)「保険証はお持ちですか?」

女性:(携帯電話で夫に電話)、受付嬢に電話を渡す。

受付:「もしもし、○○医院の受付でございます。今、奥様いらしているんですが・・・(保険証の件を話し電話を女性に渡す)」

女性:(電話で夫から説明を受け)保険証を差し出す。再び電話を受付に。

受付:「今、保険証を受け取りましたので・・・・はい、はい、それでは奥様にお電話かわりますので」(電話を女性に渡す)

女性:パタン(電話を切ってしまう)

受付:「あっ、あっ、きっ切っちゃった・・・」

女性:(不思議そうな顔)

受付:(気を取り直し)「それではあちらでお待ち下さい。」(待合い室のイスが並んだ方を指す)

女性:「This way? 」(診察室への廊下へ向かおうとする)

受付:「こっ、こっ、こちらでお待ち下さい」(立ち上り体で女性をブロックし通れないようにする)

女性:理解した様子でイスに腰掛ける。


話せないだけでなく「電話かわります」レベルの日本語を聞いても理解できない白人女性と、相手に日本語は通じないと明らかなのに、これまた絶対に日本語しか話さない受付嬢とのやり取り。

一応以前は英語をなりわいとしていた妻だが、出しゃばるのは嫌なので、どうにもこうにもらちが明かない場合だけヘルプしようとこの二人を眺めていた。

こういう時に単語だけでもいいから英語が出てこないのだろうかと受付嬢がこれまで受けてきた英語教育を疑ったが、それよりも何よりも、そんなに言葉がわからないのに「産婦人科」を一人で受診しようとするその白人女性に脱帽

だって、どんな内容だか知らないが、産科にしろ婦人科にしろ、「足くじいた」とか「熱でた」とかのように指さして伝えられるような内容ではないのでは?

会計に呼ばれた妻が、ちょっぴり心配して女性の方を見ると、さすがに本人も反省したのか「辞書」らしき物を開いて読んでいた



旦那様にこの事を報告すると

「その人、日本人を信じているんだね」との感想。

確かに。言語が通じる通じないというよりも、(日本の病院なら変なことにはならないだろう)みたいなところがあるのかもしれない。

はたまた、「日本における白人の扱い」が寛容であることに対する甘えとも受け取れる。

自分なら果たして言葉の全くわからない国でたった一人、産婦人科を訪れるだろうかと考えたが、経験からしてイタリアと中国は避けたい。せめて「嘘」とか「インチキ」という概念が明確にある国なら・・・



とにかくあの女性は勇気ある。

ホリエモン様へ3

ホリエモン様

先日のお便りで大切な事を書き忘れました。

あなたにお礼を述べたかったのです。

2月に初めて差し上げたお便り「ホリエモン様へ」では、我々夫婦がホリスク(ホリエモン様の影響を受ける・ホリエモン様にいじられるリスク)を避けながら株の銘柄選定を行うようになったことをお知らせしました。


しかしその後我々の会話には新たに「ホリット」という言葉が加わりました。

ホリットとは・・・

まず我々は、今回ホリエモン様の会社が仕掛けた騒ぎをきっかけにM&A全般に注目するようになりました。

そして現在株を所有している会社だけでなく、今後購入を検討する際、その会社のPBR(株価純資産倍率)も強く意識するようになったのです。

PBRが極端に低い企業は資産価値に比べて株価が割安に放置されているという見方が可能なため、TOB(株式公開買い付け)の候補銘柄とも受け取れます。

PER(株価収益率)は高いにもかかわらず何らかの理由でPBRが低い、つまり株価が割安で実は優良な企業が将来、財務健全性の高い大手の会社に(円満に)合併買収されればその株価にも好影響を及ぼす可能性は非常に高い・・・

このようにホリエモン様の騒ぎによって得た新たな株の見方・知識により将来性の高い株を取得し得るメリット、これをホリットと呼びます(勿論、我が家だけ)。


「ここ(の会社)ホリット大きいかもよ」「そこホリット得られる可能性高いんじゃない」
・・・

ホリスクを避けながらも、ホリットをねらう、つまりホリエモン様には関わらずにホリエモン様をきっかけに得た知識を活用する、この一見矛盾しているかと思える2点が我々の昨今の銘柄選定におけるテーマです。

また一つ夫婦に新たな造語を提供してくださりありがとうございました。

今後のますますのご活躍期待しております。

ホリエモン様へ2

ホリエモン様

やっと逮捕されましたね、彼が。

これまであなたが様々な「株ど素人達」から、叩かれ・なぶられ・いたぶられる姿を目にする度に思っていました。対象が「法に抵触していることが明白な彼」ではなく、なぜ貴方なのかと・・・。

いじめられ役をかって出る貴方のエネルギーには脱帽です。

法廷でのことを中心に今後ますますお忙しくなられることでしょう。

頻繁にメディアに登場するあなたを見ていて最近気になったことと言えば、「ジル・サンダー」です。

お召しのジャケット等にこのブランドの物が多いようですが、もしかして暗に匂わせていらっしゃるのでしょうか?

1999年にプラダに一旦買収され、フェンディーの株と引き替えにルイヴィトンの手に渡ったがデザイナー不在で成立せず。結局は再びプラダがデザインを手がけ、辞任していたデザイナーのジル自身も2003年には復帰した「ジル・サンダー」。

業界ではよくある合併買収の話ですが、デザイナーのジルが、プラダに買収された際、幹部との不仲を理由に辞任しているあたりを意識していると、貴方が好んでお召しになっていることが妙に意味ありげに思えてしまうのは私だけでしょうか。

ただの「好み」とおっしゃるのならばそれまでです。

ただ、彼女は「ドイツ(フランクフルト)のアルマーニ」と呼ばれたほどミニマルでシャープなカッティングを手がけているので、どちらかと言うとスリムで長身の方がターゲットと言われています。大きなお世話ですね・・・。

それでは
くれぐれも痛風にご注意下さい。
またお便りさせて頂きます。

よく寝たら・・・

夫婦で風邪をひいた。

最初は旦那様が鼻声になり、それが治る頃に妻が鼻声になり、

ついで妻に頭痛が始まり、それが治る頃に旦那様が頭痛に苦しみ、

旦那様が「やっと治った」と言った朝は、再び妻を頭痛と扁桃腺痛が襲い・・・。

よく、兄弟姉妹が多い家族は順番に感染していつまでたっても治らないというが、我が家の場合は夫婦でいつまでたっても治らない。

ただ、高熱が出たり動けなくなるほど悪化することはなく、旦那様も一度も仕事を休む事態にはなっていない。

「大根の蜂蜜漬け」や「生姜湯」「レモン汁」等、いろんな物を出しても旦那様は何でも飲んでくれる。

最近のヒットは「高麗人参濃縮液」の6年もの。お湯で溶いて大根エキスのでた蜂蜜を入れて飲む。全身が暖まってコップ1杯で汗が吹き出てくるのいいようだ。

(この人、ホントに何でも飲むな~)

明らかに「とんでもない味」の混ぜ物でも「効きそうだね~」と飲み干してしまう。口にする物に関しては、妻として助かるのだが、一つだけ納得がいかないことがある。

養生していつもより早く床についたり、休みの日などに朝遅くまで寝ていた後、旦那様が起きあがってから冷蔵庫の隣に立ち、

「わーい、いっぱい寝たから背が伸びた~」と喜ぶ習慣だ。

いつもは見えない冷蔵庫の上が、よく寝た日は見えるようになっているらしい。

年をとると筋肉が縮んで背が低くなるとは聞いたことがあるが・・・。

旦那様の言ってることって普通だろうか。

さくら

東京~長崎間を走る寝台列車「さくら」がなくなったらしい。

まだ大学生になったばかりで、祖父母も生きていたので、大学が休みになればできるだけ会いに帰るよう心がけていた頃。

年末の航空券がなかなか手に入らず、困っていた私は当時仲良くしていた横須賀出身でJ大学の「おにいさん」が、「自分も長崎におばあちゃんがいるから、今年は一緒に帰ろう。俺がキップ取っておくよ」という言葉を信じてまかせていた。

早朝から並んでようやく入手したというが、残念ながら「おにいさん」とのおつきあいはその直前に終了した。

「一緒に帰省はできないけどキップを渡すついでに見送るよ」ということなので東京駅で待ち合わせた。

当時おにいさんも私も中央線沿線に住んでいたので、東京駅での待ち合わせと言われても
「浜松町まで山手線ででてモノレールで羽田ね」と深く考えなかった。

さて、おにいさんは東京駅で
「こっち、こっち」とドンドン歩いていく。
到着したのは、青い列車のとまっているホームだった。

そこでおにいさんが取り出したキップを見て私は叫んだ

「ひっひっひ、飛行機じゃないのーーーー???!!!」

私にとっては「帰省=航空機」であって、他の交通手段など考えたこともなかったのだ。(そもそも列車の方が安いのか否か未だによく知らないが)別に金銭的にとっても余裕があったわけではない。

体力が極端にないので、長く列車に乗って安く帰っても必ず体調を崩してその後寝込んだり通院したりで結局効率が悪いだけ。

しかも距離が距離だ。新幹線ならともかく・・・。

座席に連れて行かれて、ますます愕然とした。

二段ベット? 寝台って? 寝るの? 電車の中で?

頭の中でグルグル何かが回っていてよく理解できてなかった。

「パジャマは?」
「歯ブラシなんか持ってきてないよ」


言いたいことは山ほどあったが、とにかく時間がきたので「おにいさん」は降りて、私は一人列車で出発するしかなかった。

その後の事はあまりのショックに詳しくは記憶していない。

ただ、(こうなったら、未だ一度も陸路で通ったことのない「関門海峡」でも楽しみにするしかない)と腹を決めどうにか眠りについたが、「お客さーん、お客さーん、起きてくださーい」という車掌さんの声で起こされた時には既に佐賀だった事だけは覚えている。

まさか朝起きる時間まで決められているとは思いもしなかった私は、列車中で一番遅い起床だったらしく「シーツ返して下さい」と言ってむりやり起こされたような・・・。



「面倒な事は人任せにする」という私の傾向はその後もあまり変わらなかったが、この事をきっかけに「(特に交通手段は)事前に確認する」という習慣はついたような気がする。