Dresden-Prag
今回は短期間の中で5つの家族に会うという、人々との交流がかなり濃密な旅だったためか
帰国してもなかなか頭が通常に戻りませんでした
そういえば、韓国から帰るとすぐに例の大統領とナントカさんとの問題が持ち上がり
自分たちが呑気にあるいていた通りがデモの大群で埋め尽くされているのをニュースでみて
「危ないところだったね」と言っていましたが
ドイツから戻るとこれまた数日後に
我々がメインで使った航空会社ルフトハンザがストライキに入り、まさに帰国便への連絡で使用した国内路線もちょうど便数が減ったと聞くと
「あー、私達って運がいいのね~。これも方角で動いてるからかしら?」なんて思ってしまいます
さて、ようやく寝言が日本語になったところで
旅の記録をば
まずは・・・
前回の旅行の際、それまでずっと音信が途絶えていたMuensterの高校での友人と連絡がつき
その友人が現在家族と暮らしているDresdenからスタート
彼女の実家がホストファミリーの近所で、そのお父さんと私のホストファーザーが(共に80代で)スイミング仲間だったことで
今は離れた街にいることがわかって以来メールのやり取りをしていたわけですが
次回ドイツに来るときは「是非ウチに泊まってね」と言ってくれていたのでお言葉に甘えたわけです
戦前からの文化遺産にも指定されている素敵なお宅の3階全てが専用のバス付ゲストルームだったので至れり尽くせりでございました
我々だけだと、どうしてもマニアックなポイントに偏りがちですが
この家族がDresdenの王道をおさえてくれたので珍しく観光らしきものもでき
そしてこの街での旦那様の希望、フェルメールの絵を2作品観るのにも家族で付き合ってくれました
この美術館を訪れるほぼ全員が目当てにするラファエロの『システィーナの聖母』を
「宗教画はちょっと・・・」と言いながら素通りする我々に驚いてはいましたが
さて、共に科学者という夫婦に結婚13年目にしてようやく授かった3歳3ヶ月の一人娘は
ちょうどお話ができる頃であり、とても人懐っこい活発な子で、私達とも大いに遊んで楽しみました
日本から持参した、谷川俊太郎著『もこもこもこ』は短い擬態語ばかりの絵本ですが
旦那様が三回読んで聴かせると
文字はわからないにもかかわらず、非常に正確な発音で自分一人で音読していました
両親も読んであげられるようにと頼まれてページ数とローマ字での音の出し方を記しましたが
父親が読んでも、母親が読んでも、やはり言語習得の臨界期を改めて思い知らされる、子どもの耳のよさが際立つ結果で
日頃は日本の早期英語教育を嘲笑しているワタクシでも、phoneticsに限っていうとやはり幼児期は一つのカギだと認識を新たにさせられたものでした
そして、友人夫婦が仕事にでかけた日は自分達だけでチェコのプラハへ日帰りに挑戦
Dresden からはBerlinへ行くより近いわけですから、朝早く出て夜に帰宅すれば
まー、観光に興味のない、目的の明らかなマイナー夫婦には充分な予定の「はず」でした
ところが、最近予算不足で遅れがちなドイツ鉄道に輪をかけて「チェコ」が関わる路線とあって
2時間に一本の列車、9:08発が当初「50分遅れ」のお知らせ、その後「80分」そして「90分」
そして最終的には、ぴったり次の便と同時刻11:08に出発したのには
オサレでエレガントなドイツ人女性(おそらく20代)も列車の扉からホームの鉄道職員に向かって
「いつになったら出発するのよ、このク〇電車!!ドイツではこんなこと起きないのよ!!」と怒鳴っていました
動き出した列車の中も、トイレが故障しているのに故障の表示がなかったり、使えるトイレも汚れていて紙がなかったりする様子を見るに
あー、いくら以前の東欧の時代は終わったEUに加盟したとはいっても
わずか30年前まで個人旅行なんて危険すぎてできなかったエリアなのだから
当然ながら国によってかなり違うってことを忘れてはいけないんだなーと再認識
お蔭で滞在時間が異常に短くなったプラハで、大勢の観光客を尻目に向かったのが
もともと南ドイツの出身である天文物理学者Johannes Keplerが住み研究した家が現在は小さな博物館となっています
まー当然ですが、日本人と限らずそもそも人通りは皆無でした
あー、いかにも私達らしい
そして、チェコの列車も人びともやっぱりドイツとかなり違う
ドイツの人達には度々、素敵な街だから改めてゆっくり訪れたほうがいいと言われたけれど
私達的にはもう今後は行かなくていいいかなー
そんな日帰りでございました